3月3日はひな祭り・桃の節句!由来や風習、子どもへの伝え方は?

2021年1月15日

投稿者:


ひな祭りにはどんな由来があるかご存知ですか?

ひな祭りは3月3日の桃の節句に、女の子の健やかな成長を祝う節句の行事です。
女性であれば子どもの頃に雛人形を飾ってお祝いしたことがあり、お姉さんや妹さんがいらっしゃる場合は、その様子を見たことがあるという方も多いのではないでしょうか。
ですが、雛人形を飾っていたことは覚えていても、ひな祭りにどんな意味や由来があるのか、なぜ雛人形を飾るのか、知らない方も多いのではないかと思います。
今回は、ひな祭りにあたって、ひな祭りの由来と子どもへの分かりやすい伝え方、なぜ雛人形を飾るようになったのかご紹介していきます。

ひな祭りの由来と子どもへの分かりやすい伝え方

上巳の節句と桃の節句は何が違う?

そもそも桃の節句の「節句」とは、古代中国の陰陽五行説(いんようごぎょうせつ)を由来として日本に定着したこよみで、伝統的な年中行事を行う季節の節目となる日です。
その中の一つで、女の子の誕生と成長を祝う3月3日の桃の節句は、もともと「上巳(じょうし)の節句」と呼ばれています。
「上巳」とは上旬の巳の日(みのひ・縁起の良い吉日)という意味であり、もともとは3月上旬の巳の日でしたが、後の三国時代の魏より3月3日に定まったと言われています。
現在よく使われる「桃の節句」という呼び方は、旧暦3月3日は現在でいう4月上旬くらいで桃の花が咲く季節であることから呼ばれている名称です。
また、桃は日本において、古くから邪気を祓う力があると考えられていたことからきているのかもしれません。

ひな祭りの由来

ひな祭りは、桃の節句に雛人形と桜や橘、桃の花などの木々や雛あられ、菱餅などを飾り、ちらし寿司やハマグリの料理などを食べて楽しむ節句祭りの一つです。
女の子の健やかな成長を願う行事として知られ、日本各地で行われていますが、実はいつ頃から始まったのかはっきりとはわかっておらず、ひな祭りのはじまりは複数あると言われています。
平安時代の京都では既に貴族の女の子の間で行われていたという記録がありますが、当初は行事ではなく遊びであったそうで、ひな祭りが「ひいなあそび」とも呼ばれるのはそのためです。
一方、同じ平安時代に、健康と厄除けを願い身のけがれを人形に移し川に流して清める「流し雛」という儀式があり、「上巳の節句」のけがれ払いとして雛人形は「災厄よけ」の「守り雛」としてまつられる様になりました。
「節句の儀式」と女の子の「人形遊び」の二つが長い年月の間に結びついたものがひな祭りで、江戸時代になって全国に広がり、現在では華やかな雛人形を飾って、子どもの健やかな健康と成長を祝うひな祭りの形になったとされています。

いつまでがひな祭り?

ひな祭りの基となった「上巳の節句」は、当初は旧暦の3月3日に行われていました。現在の新暦で見てみると、4月の上旬頃にひな祭りを行っていたということですね。
そのため、その名残で3月3日をすぎても雛人形を飾っているところもあります。
現在、私たちがひな祭りと呼んでいる日は3月3日ですが、住む地域によってはひな祭りの時期が異なることもあるので両家のご両親に確認してみると良いでしょう。

子どもへの分かりやすい伝え方

せっかくひな祭りのお祝いをするのであれば、健やかな成長のお祝いということはもちろんですが、主役であるお子さんに楽しんでもらい良い思い出にしてもらえたら嬉しいですよね。
由来を知ることでひな祭りにもっと親しんでもらえて、ひな人形を大事に飾ることができるのではないでしょうか。
そこで、お子さんへの分かりやすい伝え方の例をひとつご紹介します。

「3月3日は桃の節句ひな祭りといって雛人形を飾って、○○ちゃん(お子さんのお名前)が元気で大きくなって幸せになりますようにとお願いをしながら、おいしいごはんを食べる日だよ。
昔は、みんなが元気でいられるように病気とか悪いことをお人形にくっつけて、川に流していたの。それが女の子のおままごとをするお人形にその代わりをしてもらうようになって、今は女の子が幸せにすごせますようにとお願いをするお祭りになったんだよ。」

あくまで一つの例ですので、いろいろなアレンジをしてお子さんに伝えてあげてください。
また、あまり詳しい内容を伝えてもお子さんにはまだ理解できないと思いますので、簡単な説明をした上でひな祭りにちなんだ絵本の読み聞かせやクイズなどを作って遊びながら話せば、より楽しんで理解できるのでおすすめです。

ひな祭りになぜ雛人形を飾るようになったのか

雛人形は女の子の健やかな成長と幸せを祈り飾るものですが、なぜ飾られるようになったのでしょうか。
昔は現在のように医療が発達しておらず、赤ちゃんが生まれてすぐに亡くなることも珍しくなかったため、無事に成人することはとても大変なことでした。
季節の節目でもある節の日は、古くから邪気が入りやすい時期といわれていました。そのため、上巳の節句では川で身を清める風習がありました。紙などで作った人形(ひとがた)や形代(かたしろ)で子供の体をなでてけがれを人形へと移し、それを川に流して邪気や厄災を払う行事となりました。
もともとは、人形を川へ流して邪気払いをするという風習が、時代とともに人形作りの技術も発展していき立派な雛人形が作られるようになったことで、川に雛人形を流すのではなく飾って邪気や災いを払う儀式へと変化していきました。
ひな祭りで飾る雛人形には、子どもが健やかに育ち、幸せになって欲しいという両親からの思いも込められているのです。

人形に祈りを託していた

今の雛人形のような座り雛が普及する前は、這子(ほうこ)と呼ばれる、長方形に切った絹を四方向から縫い閉じ、中に絹綿を詰めて赤ちゃんがはいはいをするような形を再現して、赤ちゃんを災いや汚れから守るために枕元などに置かれていました。
その後、平安時代に宮中では天倪(あまがつ)と呼ばれる、人形の身体に絹を巻いた木の丸い棒をT字に組み、頭部分にしわを寄せて長寿への願いを込めた人形を使うようになりました。
江戸時代には上流階級の武家にも広まり、使用されていました。

座り雛の前は立ち雛が主流だった

先ほどもご紹介したように、赤ちゃんの厄除けで使用されているのは這子や天倪の人形が主流でしたが、後に立ち雛に変化したといわれています。
江戸時代に作られた立ち雛は、お内裏様(男雛)が小袖に袴を履き両袖を大きく広げた姿で、お雛様(女雛)は丸い筒状に作られた長着(ながぎ・丈の長い着物)の上から細い帯を締めた姿が主流でした。立ち雛の衣装の柄には、松竹梅や鶴亀のめでたい席で使われる縁起の良いものが使用されています。
その後、立ち雛から座り雛へ移り変わる段階の雛人形と考えられる、寛永雛(かんえいびな)は立ち雛の影響からか、お雛様(女雛)には手先が作られておらず袖を両側に状態で制作されている人形が多いです。お内裏様(男雛)は頭と冠が一体型の木彫作りで、髪の毛や髭は墨で塗られています。

ひな祭りの由来を知り、この文化を次の世代へ伝えていきましょう

雛人形は、古くから嫁入り道具の一つとされており、母方の実家から贈ることが一般的です。
現在では嫁入り道具が簡略化され、持っていない方もいらっしゃるでしょう。
もし、雛人形をお持ちでしたら関東地方と関西地方で飾り方や各人形の形・持ち物が異なっていることもあるので、比べてみてもおもしろいかもしれません。
ひな祭りの由来を知り、この文化を次の世代へと伝えていきましょう。

# #


※本記事は掲載時点の情報であり、最新のものと異なる場合があります。予めご了承ください。


みんなに人気の記事

新着記事

関連コラム