並びの意味を知ればもっと楽しめる雛人形

2022年1月19日

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段飾りの雛人形の場合、最上段に男雛と女雛が並ぶことは大多数の方がご存知かと思いますが、どちらが右側でどちらが左側か、即答できる方は意外と少ないのではないでしょうか。それも無理ありません。実はどちらも正解だからです。
本来、朝廷の公家文化においては左側に位の高い人が位置するのが決まりごとでした。今でも関西では向かって右側に男雛が飾られる場合が多くあります。関東では武家文化の影響で、右側に位の高い人が位置するのが習わしだったため、向かって左側に男雛が座るのです。
雛人形は長い歴史の中で、さまざまな形態に変化してきましたが、それぞれの人形や飾り物が持つ意味合いは昔から変わらず受け継がれています。少しでもその理由を知ると、今以上に雛人形を飾るのが楽しくなること間違いなしです。

目次


  1. 婚礼儀式に込められた願い

  2. もともとは親王飾りだけだった

  3. 正しい並び方を知ろう

  4. まとめ

婚礼儀式に込められた願い


もともとは平安貴族の間で子どもの災厄避けとして飾られた人形が雛人形の起源とされていて、現代でもお子様の健やかな成長や幸せを願って飾りますが、平安時代の宮中の婚礼儀式を模していることから、男雛は最も位が高い人の第一礼装、女雛も大変高貴な人が身につける最高級の衣装です。
江戸時代の初期、京都から大奥へひな祭りの風習が伝わると同時に雛人形が徐々に広く一般にまで浸透していったことで、その後江戸の街では雛人形が大流行しました。


当時から宮中の婚礼儀式を真似た設定というのは変わっていませんので、流行の理由には高貴な人々への憧れも込められていたのではないでしょうか。シンデレラや白雪姫といったプリンセスに憧れるという点では200年以上経った現代でもあまり変わってないように感じられます。

雛人形の衣装だけではなく、周辺のさまざまな物が宮中のしきたりに則っています。例えば、座っている畳の縁に付けられた色とりどりの布は「繧繝錦(うんげんにしき)」と呼ばれ、平安の昔から天皇など最高位の方々のみが使用を許された物です。色の濃淡を利用して立体的に見える効果があるとされています。
三人官女や五人囃子といったお付きの人々の装いや持ち物なども全て宮中のしきたりに則って配置されています。


もともとは親王飾りだけだった


江戸で雛人形が大流行するまでは親王飾りが主流でした。江戸時代後期になると江戸の街中に雛市が開かれるようになり、人形屋が軒を連ねた十軒店(じっけんだな)という名所まで登場しました。三人官女や五人囃子など新しい人形が登場したのもこの頃で、さまざまなお道具、お供え物なども増えたことから飾る台も階段状へと変化していきました。この時代は、今のようにセット売りではなく、ひとつずつコレクションのように買い足していくのが当たり前でした。

江戸名所百人美女 十軒店
歌川豊国、歌川国久画 安政5年(1858) 国立国会図書館所蔵

雛人形に使われている衣装の柄やお供え物の菱餅、桜橘など、ほとんど全ての物に厄除けや縁起が良いとされる意味が込められています。例えば、衣装は平安時代に高貴な人のみが着用を許された「吉祥文様」や「有識文様」といった柄が使われています。これは松竹梅や鶴亀、鳳凰などのモチーフや菱形、唐草模様、波や雲の連続した文様などが構成されており長寿や子孫繁栄などの意味が込められたものとされています。お供えやお道具にも唐草模様が描かれていることがあります。


正しい並び方を知ろう


7段飾りの雛人形の場合、男雛・女雛をはじめ全部で15体の人形とお供え物やお道具など、それぞれ置く位置が決まっています。全部を正しく憶えなくても由来や意味などを知ると、今後も雛人形に対して愛着がわき、飾るのが楽しくなると思います。


上から1段目・・・男雛、女雛(屏風、雪洞または油灯、三方揃)
男雛と女雛の位置関係については地域によって変わります。左右どちらでも間違いではありません。繧繝錦の台に乗せて飾ります。三方揃(さんぽうそろい)は、おもてなしに用いられる物で、神事に使われる器に飾り花を入れて台に乗せた物です。お二人の間に置きます。
背後には金屏風、脇には雪洞または油灯を置きます。昔は婚礼の儀式を夜間に行ったからだと言われています。

2段目・・・三人官女(高坏)
三人官女は宮中に仕える女官の代表で、今で言うエリート官僚です。向かって左から提子(ひさげ)、三方(さんぽう)、長柄(ながえ)を手に持っています。提子と長柄はお酒を注ぐための道具です。中央の三方はご祝儀の飾り物が乗った島台(しまだい)のこともあります。両脇の立ち姿の女官は、よく見ると片足が少しだけ前に出ていますので、出ている方の足が外側になるように置きます。三人の間には紅白のお餅などが乗った高坏(たかつき)を飾ります。


3段目・・・五人囃子
能楽や雅楽といった日本の伝統的な音楽を奏でる人たちです。向かって左から太鼓、大皮鼓、小鼓、笛、謡い手の順に並びます。それぞれ楽器や小道具を持たせます。髷を結っていないので少年だということが分かります。今でいうアイドル的な人たちなのかもしれません。


4段目・・・随身(懸盤膳、菱台)
随身(ずいしん)は、宮中の警護にあたっていた役職の代表です。俗に「右大臣・左大臣」と言われていますが、服装から推測すると正しくは大臣ではなく、右近衛少々と左近衛中将だという説もあります。置く位置に関しても、向かって右が右大臣、左が左大臣だと思われがちですが、男雛・女雛の方から見て左側に上位の人間が位置するのが本来のしきたりなので、向かって右側は老人で左大臣、左側が若者の右大臣となります。
背中に矢を背負っていますが、これは儀式用の飾りだそうです。
中央には懸盤膳(かけばんぜん)と言われる、高級な祝い料理の御膳と菱餅を乗せた菱台を置きます。菱の実は栄養価が高く薬効もあり、繁殖力が旺盛な植物でもあったことから、平安時代から縁起が良い長寿や子孫繁栄などの象徴として、いろいろな文様にも好んで使われました。菱餅が三色や五色なのも、それぞれに厄除けや縁起を担いだ意味が込められています。


5段目・・・仕丁(桜、橘)
仕丁(しちょう)は、無報酬で雑役などをさせていた一般の人々で、地方から交代制で派遣されていました。向かって左から台傘(だいがさ)、沓台(くつだい)、立傘(たちがさ)を持っていますが、地域によっては熊手(くまで)、ちり取り、箒(ほうき)といった清掃用具の場合もあります。この3体はそれぞれ表情が“怒り”、“泣き”、“笑い”顔になっていて、
一般庶民の喜怒哀楽を表現しているという説もあります。
両脇には桜と橘の花を置きますが、これは「左近の桜、右近の橘(さこんのさくら、うこんのたちばな)」とも言われ、4段目の随身同様、京都の紫宸殿のお内裏様から見て東側(左側)の桜の木の周辺を左近衛が、西側(右側)の橘の木の周辺を右近衛が警護していたのが由来とされています。また、日本固有の桜や橘といった植物には魔除けの力があるとされ、健康と長寿を祈願するものでもあります。


6段目・・・嫁入り道具(代表的なものとして、箪笥、長持、鏡台、針箱、表刺袋、火鉢、茶道具など)
嫁入り道具などの小物も江戸時代以降、武家の子女がお嫁入りの際に雛人形を持参するようになって登場した物だと言われています。蒔絵が施された絢爛豪華な家具で、針箱や火鉢、茶道具など当時の生活の一部も垣間見ることができるのが興味深いです。

7段目・・・御輿入れ道具(代表的なものとして、御駕籠、重箱、御所車または牛車)
この段には主に乗り物が置かれます。御駕籠(おかご)は、時代劇などにもよく登場する前後を人夫が担いで運ぶ乗り物で、これは高貴な人が使用する豪華版です。車に例えるならリムジンといったところでしょうか。中央には重箱(じゅうばこ)が置かれます。ご馳走を入れるための物で、お正月のおせち料理などを入れたりする入れ物と同じ物ですが、やはりかなり豪華な感じです。向かって右側には御所車(ごしょぐるま)や牛車(ぎっしゃ)が置かれます。人が引く場合は御所車、牛が引く場合は牛車と呼びます。


まとめ


江戸時代に雛人形が大流行したことで、江戸の街中にたくさんの人形屋ができたため市場競争が激化し、“雛人形は宮中の婚礼儀式を模したもの”という考えをもとに、三人官女や五人囃子などお付きの人々、お道具類などが増えていったとされています。総勢15体の段飾りの雛人形は現代風に言うと、オプションがたくさん付いたデラックス版で、みんなの憧れの的だったという訳です。
最近では江戸時代以前の形態だった、お二人だけの親王飾りも人気がありますし、三人官女やお輿入れ道具のみをプラスした三段飾りの雛人形など、代表的な要素だけを抽出して飾るタイプも増えています。
それぞれの人形の意味を知ると、男雛・女雛以外は何を飾ったらいいのかが分かると思いますので、ご自身でアレンジしてみてもいいかもしれません。


※本記事は掲載時点の情報であり、最新のものと異なる場合があります。予めご了承ください。


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