兄弟の名前旗で五月人形に華を添える

2022年1月31日

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五月人形などの節句人形の意味は、子どもに降りかかる災厄を祓うための身代わりとして飾る物ですので、本来は子どもひとりひとりに一体ずつ必要とされていますが、住宅事情によって飾るスペースが確保できないケースが増えたこともあり、コンパクトサイズの五月人形と一緒に名前旗を兄弟で飾って華やかさを演出するというご家庭も増えているようです。
最近は色やデザインのバリエーションも豊富になっていて、吉祥文様が織り込まれた布地に金糸や銀糸で名前が刺繍された豪華な名前旗もたくさん出回っています。最近では初節句のお祝いに贈るギフトとしても人気を集めています。

目次


  1. 名前旗を兄弟で飾ろう

  2. 名前旗の由来

  3. 名前旗はこれからの節句人形の形

  4. さいごに

名前旗を兄弟で飾ろう


端午の節句は別名菖蒲の節句とも言われ、平安時代までは権力を誇示していた貴族によって行われていた節句行事ですが、鎌倉時代になって武士が台頭してきたため、菖蒲と尚武の語呂合わせから武家の間で武具を飾り始めたのが五月人形の起源と言われています。
昔は兄弟が多く、今よりは家が広かったとしても例えば男の子が5人とかいる場合、五月人形はいったいどうしていたのでしょう…⁈ 素朴な疑問です。調べてみましたが、詳しいことはよく分かりませんでした。
ただ一説によると、昔は一家の家督を継ぐ長男だけが鎧兜を持つことができたという話があります。武家らしい考え方ですが、五月人形は子どもの身代わりに災厄を受ける物ですので、代々受け継ぐのは縁起が悪いこととされ、タブーとされています。


江戸時代になると商人たちの間で鯉のぼりや武者人形といった新しい五月人形が生み出されて流行しました。いつの時代も社会情勢の影響を受けて五月人形は少しずつ変化してきたのです。
ただし、先にも書いた通り、その本質的な意味合いから五月人形はひとりひとりに一体ずつ必要とされていますので、ひとつの五月人形を兄弟で共有することは避けるべきです。飾るスペースの関係でどうしてもコンパクトな五月人形しか選べない場合、兄弟それぞれの名前旗を飾ることで華やかさを演出することができます。

名前旗の由来


節句人形と一緒に飾る名前旗が登場したのは比較的最近のことですが、そのルーツを辿ると戦国時代にまで遡ります。混乱を極める戦場で、一目で敵か味方かを区別するために家紋などを入れてデザインされた目印が幟旗と言われる旗ですが、これが名前旗のルーツではないかと言われています。
武家に男の子が誕生すると、神様をはじめ周辺の住民に知らせるために幟旗や武具を家の外に飾る習慣があったことから、鎧兜とともに五月人形の飾りとして取り入れられたようです。
その後、江戸時代になると平和な世の中が長く続いたことから、さまざまな庶民文化が花開きました。
武家の五月人形を飾ることを許されなかった商人たちは幟旗を真似て鯉のぼりを生み出し、鎧兜を真似て武者人形を飾るようになります。
浄瑠璃や歌舞伎などの娯楽が流行したため、人気役者の浮世絵が数多く描かれるようになると人気の演目の武者人形もたくさん作られ、浮世絵師の手によって武者絵幟も盛んに作られました。現代で例えると人気アイドルのフィギアやイラストといった感じかもしれません。そう考えるとちょっとオシャレな物に思えてきますね。幟旗や武者絵幟といった旗タイプの五月人形の現代版が名前旗なのです。

『子供遊端午のにぎわい』(国立国会図書館所蔵)
「国立国会図書館デジタルコレクション」収録
(https://jpsearch.go.jp/item/dignl-1310782)

名前旗はこれからの節句人形の形


名前は親がいちばん最初に我が子に贈るプレゼントです。どんな名前にしようか、いろいろ調べたり悩んだりして決めますが、いつの時代も我が子の幸せを願ってつける親の気持ちは同じです。落語の題材にも親が子どもに縁起の良い素晴らしい名前をつけようと言葉を繋げて、どんどん長くなってしまう「寿限無」という有名な笑い話があります。その気持ちを表しているのが名前旗ではないでしょうか。子どもの無病息災を願って飾る五月人形と一緒に飾るのにとても相応しい物なのです。


名前旗には名前の他に生年月日や家紋が入れられたりしますので、初節句のお祝いとしても注目されています。価格も手頃なので親戚や親しい知人などに贈り物としてぴったりです。
雛人形も同様に住宅事情からコンパクト化している関係で一緒に名前旗を飾るご家庭が増えているようです。男女の兄弟でしたら、ひな祭りにも端午の節句にも一緒に飾るというのもいいかもしれません。
また、お宮参りやお食い初め、誕生日など成長の節目ごとに飾ると、記念写真を撮影する際にも華やかさが演出できるのでお勧めです。

さいごに



五月人形は時代の流れとともにその形態は変化し続けています。鎌倉時代に武家で幟旗や鎧兜などの武具を飾り始め、のちに江戸時代になってから商人が鯉のぼりや武者絵幟を流行させると、それが一般庶民へと広がっていきました。住宅事情の変化から屋外に鯉のぼりや武者絵幟を立てたり、子ども一人に一体ずつ大型の鎧兜を飾ることが難しい現代、兄弟それぞれの無病息災を願って、各ご家庭でオリジナルの飾り方を工夫するのも悪いことではありません。これからも時代の変化に合わせて五月人形の形態は変化していきますが、どんな時代になっても親が子どもの立派な成長と幸せを願う気持ちに変わりはないのですから。

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