好きな武将で選ぶ五月人形飾り

2022年2月1日

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ゲームやドラマ・アニメなどの影響で10年ほど前から戦国武将ブームが続いています。歴史上の武将がイケメンに描かれたゲームや歴史ドラマ、史実に基づいて武将の性格やエピソードを漫画にした物が人気となり、戦国武将がとても身近に感じられるようになりました。
一般社団法人日本人形協会が行った五月人形に関する調査で、0〜5歳の子供を持つ20〜40代のお母さん500名の中から戦国武将に詳しい人を抽出し「どの武将の鎧兜を飾りたいか?」という質問をしたところ、ランキング第1位は上杉謙信、第2位 伊達政宗、第3位が徳川家康という結果でした。
228名のうち約4割の方が上杉謙信を選んだ理由として、知性に富み、義理堅く堅実でありながらカリスマ性も備えていた点をあげています。ただ強いだけではない立派な人になってほしい、という願いは昔から変わらない憧れなんですね。あなたの好きな武将は誰ですか?

目次


  1. 戦国時代とは

  2. 五月人形として飾りたい人気の武将

  3. 個性的な戦国武将の魅力

  4. まとめ

戦国時代とは


よく「戦国時代」と言われますが、江戸時代のように西暦何年から何年までという、はっきりした定義はありません。室町幕府が衰退し、全国の大名たちが領土と権力を奪い合って戦いを繰り広げた約140年に渡る期間を指す言葉です。
身分に関係なく実力があれば誰でものし上がることができる下克上が盛んになった時代で、鎌倉時代から室町時代にかけて勢力を保っていた守護大名も一部は淘汰され、地方で力を持っていた豪族などが領土を獲得することで戦国大名になっていきました。


日本全国で守護大名や戦国大名による権力争いが行われる中、1560年に桶狭間の戦いで勝利した織田信長は、その後の長篠の戦いでも勝利をおさめ、天下統一まであと一歩というところで本能寺の変によって終焉を迎えました。
その後を引き継いだのが豊臣秀吉で、1584年の小牧・長久手の戦いで四国を、1587年には九州、1590年には関東と奥州を平定し天下統一を果たしましたが、朝鮮までも服従させようとして出兵を繰り返しているうちに亡くなりました。
秀吉が亡くなると徳川家康が台頭し、1600年の関ヶ原の戦いで勝利をおさめたことによって天下を統一、長かった戦国時代が終わりを告げたのです。
世に名前を残した数多くの武将たちがいますが、肉体的に強いというだけでは勝ち残れない逆境の中、精神的にも忍耐強く駆け引きにも長けていて、人間性も優れていた人物ばかりです。戦国時代や戦国武将の魅力はそんな点にあるのかもしれません。

五月人形として飾りたい人気の武将


さまざまな調査結果をもとに五月人形として飾りたいと思われている人気の武将をここで発表していきます。冒頭でも触れましたが、戦国武将に詳しいお母さん方の人気ナンバーワンは、上杉謙信でした。

上杉謙信は、越後(現在の新潟)の大名で、天才的な戦術から「越後の龍」「軍神」と言われる一方で、正義感が強く義理堅い、敵味方関係なく信頼された武将として人格の面で人気を集めています。兜には日光と三日月がデザインされています。

第2位はかっこいい武将の代表、伊達政宗です。諸説ありますが、奇想天外なファッションで周囲を驚かせたエピソードから伊達者(だてもの)とか伊達男(だておとこ)の言葉の由来になったとも言われています。豊臣秀吉を怒らせる事件を度々起こし、領土を没収されるなどの制裁を受けたものの憎まれない性格だったようです。江戸時代以降は仙台藩の当主として、地元の発展に尽くしました。


第3位は徳川家康。戦乱の世に終止符を打ち、平和な世の中を築いた功績は大きいものがあります。若い頃に苦労したためか保守的で現実主義だったそうです。情報収拾を怠らず、他人に惑わされないその人柄は堅実で華やかさはありませんが、目標に向かって着実に邁進する力強さが感じられます。


上位3名のほかにも人気の武将がたくさんいます。
武田信玄は数え切れないほどの戦のうち、たった3回しか敗北しなかったという、織田信長も恐れたほどの最強の武将ですが、負けない戦をするために用意周到でした。また、家臣を大事にし、話し合いで政策を決定していたとも言われています。上杉謙信も武田信玄の慎重で謙虚な性格には一目置いていたそうです。


ドラマなどの影響もあるかもしれませんが、真田幸村も人気が高い武将のひとりです。若い頃のほとんどを人質として過ごしたため、口数が少なく忍耐強い性格だったそうです。一方で物腰は柔らかく、あまり怒ったりすることは無かったという記録が残っています。戦になると鬼神のように敵を倒し、最後まで豊臣秀吉に仕え忠義を果たしました。


個性的な戦国武将の魅力


戦国武将と聞いてまず思い浮かべるのが鎧兜に身を包んだ姿だと思いますが、身を守るための甲冑に近い物は既に弥生時代からあったそうで、武士が台頭した平安時代末期には大鎧という全身を包む形態に発展していたそうです。
戦国時代になると鉄砲などの新兵器も登場し、胴体だけではなく足のすねまで守るように改良された「当世具足」という形態に変化していきました。
何千人もの人間が広い荒野に散らばって戦うので、敵味方の区別がつきにくくなります。そのためさまざまな工夫がされました。一目で分かるようなシンプルな幟旗や、色分けした装具など、現代でもスポーツの試合でユニフォームが色分けされているのと同じですね。


先出の5人の武将の兜もかなり個性に満ちたデザインでしたが、当時の兜のデザインは現代でも驚くような奇抜な物があります。
例えば、上杉謙信や伊達政宗の前部にはどちらも三日月が付けられています。これは宗教的な意味合いから月は守護の象徴と考えられていたためですが、中にはどういう理由か分からない飾りもたくさんあって面白いです。

『栄螺形兜』安土桃山時代(東京国立博物館所蔵)
『白糸威一の谷形兜』安土桃山~江戸時代・16~17世紀(東京国立博物館所蔵)
「ColBase」収録
(https://jpsearch.go.jp/item/cobas-76762)

自分を鼓舞させるためなのか、敵を威嚇して怖がらせるためなのか、独特の感性は武将の魅力のひとつでもあるようです。数多くのライバルたちの中から勝ち上がるためには他人が考え付かないような突飛な発想も必要だったのかもしれません。

まとめ


戦国時代と聞くと、連日戦いに明け暮れ殺伐としたイメージですが、さまざまな記録や解説を見てみると武将の人間らしい面が分かるエピソードや、戦術や身の振り方の駆け引きなど、現代社会にも通じる面白さが伝わってきて、その魅力にはまる人が多いのもうなずけます。
命を守るため身につける鎧兜は、お子様の健やかな成長を願い、災いを避けるためのお守りとして飾る物ですので、好きな戦国武将をイメージした飾りを選ぶことで、一生永く飾れる物になるのではないかと思います。

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※本記事は掲載時点の情報であり、最新のものと異なる場合があります。予めご了承ください。


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