時代によって移り変わる五月人形のモデル

2022年2月1日

投稿者:



もともと端午の節句は菖蒲を使って邪気を払う宮中行事でしたが、鎌倉時代以降、武家社会において菖蒲=尚武という考え方に変化するとともに、武士たちが梅雨の前に鎧兜を部屋に出して干す習慣とも重なり、江戸時代になると五月人形を飾って子どもの無事な成長をお祝いする行事として定着していきました。
五月人形の内飾りには鎧兜などの甲冑のほかに武者人形や子供大将と言われる飾りがありますが、当時、鎧兜などの武具を飾ることが許されたのは武家のみでした。
江戸時代中期以降、江戸の街では節句人形を扱う人形屋が大流行し、その後五月人形として武者人形などを飾る習慣が広く一般的に浸透していきました。商人が武家が飾る吹き流しや幟旗を真似て鯉のぼりを飾るようになったのもその頃です。五月人形の人気モデルは史実や伝説をもとに作られた歌舞伎や浄瑠璃に登場する人たちでした。

目次


  1. 江戸時代のモデルは売れっ子スター

  2. 時代の流れに合わせて変化する五月人形

  3. モデルはいつでも憧れの人物像

  4. さいごに

江戸時代のモデルは売れっ子スター


徳川家康によって天下統一がなされた江戸時代は戦が行われず平和が続いたことから、さまざまな庶民文化が花開いた時代でした。
節句人形の流行もそのうちのひとつで、雛人形に三人官女や五人囃子が登場したのも江戸時代だと言われています。同様に五月人形もさまざまな物が作られるようになっていきます。
もともと災厄祓いを目的としていたことから中国の伝説の疫病を追い払う神様、鍾馗(しょうき)や、昔話として親しまれていた桃太郎は五月人形のモデルとして相応しいものとされ、よく作られていたようです。
また、古くから浄瑠璃で演じられ有名だった坂田金時は、幼少期のエピソードとともに金太郎として浮世絵などにも多く描かれ、五月人形としても人気のモデルでした。


1837年(天保8年)雅信模『栄川/桃太郎絵巻』(東京国立博物館所蔵)
「ColBase」収録
(https://jpsearch.go.jp/item/cobas-44626)
香蝶楼国貞,佐野喜『端午の節句』(国立国会図書館所蔵)
「国立国会図書館デジタルコレクション」収録
(https://jpsearch.go.jp/item/dignl-1305289)

香蝶楼国貞(歌川国貞)が端午の節句を描いた江戸時代後期の浮世絵には、金太郎の武者人形を持つ女性の背景に鍾馗が描かれた武者絵のぼりと鯉のぼりがあるのが分かります。

一般庶民の間で浄瑠璃や歌舞伎といった娯楽が発展したため、当時人気の役者を描いた浮世絵がたくさん出回りました。今で言う人気アイドルのブロマイド写真のような物です。当然たくさんの人形屋も人気役者をモデルに節句人形を作りました。

豊国,伊勢屋『東海道五十三次の内 藤川駅 佐々木藤三郎(高綱)』(国立国会図書館所蔵)
「国立国会図書館デジタルコレクション」収録
(https://jpsearch.go.jp/item/dignl-1305349)

昔は八幡太郎義家(はちまんたろうよしいえ)や佐々木高綱(ささきたかつな)、鎮西八郎為朝(ちんぜいはちろうためとも)、朝比奈三郎義秀(あさひなさぶろうよしひで)といった人物の武者人形が人気だったそうです。
八幡太郎義家は源義家の通称で、鎌倉幕府を開いた源頼朝の祖先です。文武両道で武将として大変長けていたことから、伝説の英雄として江戸時代の歌舞伎の演目などで人気になったのだと思われます。佐々木高綱も平安から鎌倉時代にかけて活躍した武将で平家物語や源平盛衰記などにも登場する人物です。特に宇治川の戦いをもとに作られた歌舞伎の「鎌倉三代記」で人気を集めました。

曲亭馬琴 作,葛飾北斎 画,平林庄五郎[ほか1名]『椿説弓張月 28巻 [1]』(国立国会図書館所蔵)
「国立国会図書館デジタルコレクション」収録
(https://jpsearch.go.jp/item/dignl-2557122)
一猛斎芳虎,山田屋『武者かゞ美 一名人相合 南伝二』(国立国会図書館所蔵)
「国立国会図書館デジタルコレクション」収録
(https://jpsearch.go.jp/item/dignl-1312432)

ほかにも弓の名手と言われた鎮西八郎為朝が主人公の創作物語で、葛飾北斎が挿絵を描いた曲亭馬琴の「椿説弓張月」や鎌倉幕府の歴史を綴った「吾妻鏡」に登場する超人的な豪傑、朝比奈三郎義秀といった、いわば伝説のスーパーヒーローが歌舞伎の演目として取り上げられ、その人気にあやかって五月人形が作られたのです。現代のフィギアみたいな感じでしょうか。この頃はどちらかと言うと大人向けで流行の最先端だったようです。

時代の流れに合わせて変化する五月人形



明治時代になると等身大ほどの大型武者人形もあったそうで、そのモデルとされる人物も脚色された伝説のヒーローから実在の人物や童話の主人公へと変化していきます。
明治時代中期に巌谷小波の手によって古くから言い伝えられてきた民話をまとめた「日本昔噺」や「日本お伽話」といった児童書が刊行されると、金太郎や桃太郎、牛若丸と弁慶など子どもにも分かりやすい人物像をモデルにした五月人形に人気が集まっていきます。それまでは全体的にリアルな描写の人形でしたが、だんだんと子どもを思わせる表情の物も多くなり、特定の人物ではない子どもが鎧兜を着けた子ども大将飾りと言われる五月人形が登場しました。


昭和になると武者人形の脇役として飾られていた鎧兜の方に徐々に人気が移行していきました。それに連れて、実在した戦国武将をモデルに鎧兜が作られるようになり、数年前から続く戦国武将のブームによって、その人気はますます加熱し続けています。

モデルはいつでも憧れの人物像


そもそも人形を飾るのは、子どもの身代わりになって降りかかる災厄から守ってもらうためのお守りの意味なので、病魔を退治する鍾馗や健康優良児のお手本のような金太郎、鬼退治で活躍する桃太郎がモデルになるのはごく自然なことですが、さらに伝説的なスーパーヒーローに対する憧れも要素に加わることで、さまざまな五月人形が生まれてきたと言えます。
ここ数年人気が高い戦国武将モデルの鎧兜も、それぞれの武将の活躍やその人柄、エピソードなどでかっこいい!と憧れを抱くことや、将来の目標となる人物像だったりすることは健やかな成長の一助になり得るのかもしれません。また、戦国武将に興味を持つことで日本の歴史に詳しくなったり、人間関係などの社会勉強にも繋がります。
そこで人気の戦国武将の人となりや使用していた兜をいくつかご紹介します。


・上杉謙信・・・軍神や「越後の龍」と例えられ、戦術に長けたことで有名です。戦乱の世の中にあっても義理人情に厚く、信頼のおける人物だったことから人気がある武将です。


・徳川家康・・・説明するまでもなく、天下統一を果たし260年以上平和を保ち続けた偉業を成し遂げた武将です。忍耐強い性格で「人の一生は、重き荷を負うて遠き道を行くが如し。急ぐべからず」という名言を残しています。


・武田信玄・・・「甲斐の虎」と呼ばれ、大勢の家臣をまとめ上げる統率力に優れていた。情報収集にも長けており、慎重さと謙虚さを持った理知的な武将です。

さいごに


我が子が憧れの人物のように素晴らしい大人に成長してほしい、と願う親の気持ちはいつの時代も変わりません。時代の移り変わりによって、そのモデルは少しずつ変化していますが、根底にある思いは後世にまで永く残したい日本文化です。端午の節句の意味や五月人形のことについて語りながら、お子様と一緒に飾る時間はきっと良い思い出作りに役立つでしょう。

# #


※本記事は掲載時点の情報であり、最新のものと異なる場合があります。予めご了承ください。


みんなに人気の記事

新着記事

関連コラム