迫力満点!五月人形の真髄、鎧の飾り方

2022年3月18日

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五月人形と聞いて兜だけの飾りを思い浮かべる方が多いかもしれませんが、端午の節句に武具を飾るようになったのは、梅雨入り前に鎧兜を出して手入れをした武家の習慣がもとになっていると言われていますので、本来は鎧と兜一式を飾るのが自然なのかもしれません。
近年の住宅事情から飾るためのスペースを確保するのが難しくなり、兜だけを飾るケースが多くなっていますが、本来は子どもを災厄から守るためのお守りの意味がありますので、やはり鎧と兜を合わせて飾るというのが理想的でしょう。最近ではコンパクトな鎧飾りも増えています。鎧飾りの詳細や飾り方について一緒に勉強してみたいと思います。

目次


  1. 鎧飾りの飾り方

  2. 戦国武将の甲冑物語

  3. 江戸時代の商人の憧れだった

  4. まとめ

鎧飾りの飾り方


端午の節句が5月5日だというのはどなたでもご存知かと思いますが、では五月人形はいつからいつまで飾ればいいのでしょうか。そう聞かれると意外とはっきり答えられない方も多いのではないでしょうか。
実は、はっきりとした決まりはありません。春分の日以降、四月上旬くらいに飾り始めるというのが一般的なようです。一方で片付ける時期はというと注意が必要です。なぜなら、うっかりしていると梅雨の時期になってしまうからです。和紙や正絹などの素材を使用して作られている五月人形は湿気が大敵ですので、梅雨の前の天気が良い日に片付けるようにします。
飾る場所についても注意する点があります。直射日光が当たる場所は避けてください。鮮やかな色の素材が使われていますので、日光に直接当たると退色したり劣化の原因になります。
次に鎧飾りについて、詳しく見てみましょう。
一般的な鎧飾りは、下記のような部分が組み合わさってできています。これらは戦の時に最大限、敵の攻撃を防ぐように工夫されて作られているのが分かります。


1. 兜・・・鎧飾りには兜がセットになっています。
2. 面(めん)・・・面頬とも呼ばれる物で顔を保護するための物です。
3. 喉輪(のどわ)・・・喉から胸まわりを守る板。
4. 大袖(おおそで)・・・肩や上腕を保護するための装具。
5. 胸板 ・・・胴の前の部分に付けられた鉄板のこと。
6. 籠手・肘金(こて・ひじがね)・・・肘から手首までを守る装具。
7. 手甲(てっこう)・・・手の甲を守る装具。
8. 胴先緒(どうさきのお)・・・装着時に胴の上から巻いて引き締める紐。
9. 前草摺(まえくさずり)・・・下腹部を覆うための部分。
10.馬手草摺(めてのくさずり)・・・右脇の草摺りのこと。
11.佩楯(はいだて)・・・足の太ももから下を守る装具。
12.毛ぐつ・・・革の足袋の上に履いていた毛皮の靴。貫(つらぬき)ともいう。
13.鎧櫃(よろいひつ)・・・鎧を入れておくための箱。

甲冑とも呼ばれる鎧は、現代でも職人の手によって作られています。特に「江戸甲冑」と呼ばれる、戦国武将などの質実剛健な雰囲気の物と、「京甲冑」と呼ばれる、装飾が多く施された華やかさを備えたタイプがあります。


次に鎧飾りの飾り方についてですが、
1. 飾る場所に櫃(ひつ)を設置します。
2. 櫃の前面に佩楯(はいたて)をたらし、佩楯の帯の両端を櫃と蓋の間に挟み込みます。中心を合わせてしっかり蓋をします。
3. 櫃の上、中心よりやや手前に芯木を立てます。前後を間違えないように鎧を乗せて形を整えます。左右の腕の曲り具合などを合わせると綺麗です。
4. 面頬(めんぼう)を芯木の上部にかけてつるします。面頬の位置が鎧の上にちょうどよくおさまるように、ひもの長さを調節します。
5. 毛履(けぐつ)に臑当(すねあて)を差込み、櫃の前に並べます。左右を間違えないようにしましょう。
6. 兜に鍬形(くわがた)、前立(まえたて)を差込み、芯木に乗せます。鍬形の左右を間違えないように注意しましょう。(兜によっては、前立のないものもあります。)
7. 最後に全体の形を整えます。

戦国武将の甲冑物語


甲冑のような防具は弥生時代には既にあったとされていますが、当時はまだエプロン状の簡単な物だったようです。その後、平安から鎌倉時代にかけて武士が台頭すると同時に大鎧が登場し、身を守るための防具というだけではなく武将の第一礼装として発展していきます。
大鎧は主に馬に乗る際に着用し、弓矢の攻撃に対しての防御力は高かったのですが、かなり重かったことから動き回るにはあまり向かなかったようです。見た目には華やかなので、現代の鎧飾りはこの大鎧を模した物が多いです。
その後、徒歩で戦うために改良された胴丸や腹巻といった軽い鎧が登場すると、戦国時代末期にはさらに防御力と活動性を兼ね備えた当世具足と呼ばれる鎧が登場しました。


戦国武将にとって鎧兜(甲冑)は現代のファッションのように個性を主張する物でもありました。特に有名なのが、伊達政宗の「黒漆五枚胴具足」と言われる黒一色に統一された甲冑で、映画スターウォーズのダース・ベイダーのモデルとも言われています。


また、徳川家康が愛用していたのが「歯朶(しだ)具足」と言われる甲冑で、兜がまるで大黒天の頭巾のような形をしていますが、出陣前に見た夢の中に大黒天が現れたことから作られたと言われています。歯朶の葉の形の鍬形は常に緑色で生命力に溢れ繁殖力も強い植物であることから、子孫繁栄や健康長寿の象徴とされています。

江戸時代の商人の憧れだった


江戸時代になって平和な世の中が長く続くと武士よりも商人が力を持つようになりました。節句行事が広く庶民にも広まる中で、武家のみに許されていた端午の節句の鎧兜や幟旗を真似て、商人たちの手によって鯉のぼりや武者人形、武者絵旗などさまざまな五月人形が新しく作られていきました。
武家の鎧兜がかっこいいと感じた江戸時代の商人たちの気持ちと、現代の私たちが戦国時代の武将をかっこいいと感じる気持ちはそれほど違わないのではないでしょうか。
現在でも職人の手によって綿密に作られている鎧兜は、長い歴史の中で脈々と受け継がれてきた文化であるだけではなく、その完成された美しさは日本が世界に誇る芸術作品と言っても過言ではないのです。

まとめ


江戸時代に花開いた庶民文化は、現代にもそのまま通用するような多様な文化でした。身分制度があったため、武家の象徴である幟旗や武具、鎧兜を商人が飾ることは許されませんでしたが、工夫を凝らして新たな飾りを次々に生み出した自由な社会でした。現代でも昔からの五月人形の形態を守りつつ、時代背景や
社会情勢の影響を受けて少しずつ変化していきますが、いつの時代も根底にあるのは、子どもへの災厄避け・健康長寿を祈念する親の願いなのです。


※本記事は掲載時点の情報であり、最新のものと異なる場合があります。予めご了承ください。


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