雛人形を飾る意味は?地域で飾り方が違う?地域の伝統的な雛人形も

3月3日のひな祭りで飾る雛人形ですが、関東と関西では並べ方が違うのはご存知でしたか?
いざ自分が親になり雛人形を飾る立場になった時に、嫁ぎ先の地域で雛人形の並べ方や飾る時期が違い困っている方もいらっしゃるのではないでしょうか。
今回は、地域ごとによって違う雛人形の飾り方と、地域で昔から受け継がれている伝統的な雛人形についてもご紹介します。

雛人形を飾る意味とは?

昔は赤ちゃんの生きられる確率が低く、無事に成長できるかどうかは神様のみ知ることでした。
そのため、赤ちゃんの汚れを移す身代わり人形として天倪(あまがつ・人形の形代)や這子(ほうこ・這っているような姿をしたぬいぐるみ)を女の子の枕元へ置いて、災いや厄を払う風習がありました。
また、雛人形の原型となった立ち雛は、厄を払い水に流す「ひとがた」を立体化したものと言われています。
そのような背景から、上巳(じょうし)の節句に子供の汚れや厄を雛人形に移し、川へ流す流し雛の風習も生まれました。
やがて時代と共に、雛人形は立派で豪華絢爛なものになり、雛人形を川へ流して厄や災いを払うのではなく、飾ることで女の子の厄を払うという風習へと変化していきました。
ひな祭りで飾られるようになった雛人形には、女の子が健やかに育ち幸せになるようにや素敵な女性になってほしいという両親からの祈りが込められているのです。

雛人形は地域によって飾り方が違う場合も!

関東と関西では、雛人形に色々と違いがあります。
現在のお雛様は大きく分けると2種類に分かれており、関東で作られている「関東雛」と、京都など関西で作られた「京雛」の2つです。
関東雛と京雛の違いや、並べ方について詳しくご紹介します。

顔の印象が違う

関東と関西では雛人形の好まれる顔も微妙に違いがあります。
実際のところ、人形の顔立ちから関東雛と京雛を判断する明確な顔の特徴ははっきりはしていないものの、雛人形を商品ごとに比べてみると違いがわかる場合があります。

関東(関東雛)

関東で作られた関東雛は少しふっくらした顔立ちで、目が大きく、口元が少し笑っているように見えるものが多い傾向です。

関西(京雛)

関東の雛人形と比べて京都などで作られた京雛は、顔は細面で、鼻筋が通っていて、目は切れ長、気品があふれる上品な顔立ちをしているものが多いでしょう。

関東雛と京雛の並べ方の違い

なぜ並び方が違うのかその理由として、お内裏様(男雛)とお雛様(女雛)の位置が昔と現在では異なるためです。
日本では昔から左方上位(左側の方が位が高い)とされていました。神社でお参りをする際に手水で左手から清めるのも同じ理由です。
一方で、皇室では明治時代の終わり頃から、西洋文化が取り入れられ天皇陛下は皇后陛下の右側(正面から見ると天皇陛下が左側)に立つようになりました。
この背景から、関東では現在のルールで関西は昔のルールに合わせて雛人形を並べるようになりました。

関東(関東雛)

関東では正面から向かって左側にお内裏様(男雛)、右側にお雛様(女雛)を座らせて並べます。全国的には、関東の並べ方に合わせて飾るスタイルが主流となっています。

関西(京雛)

関西は正面から向かって左側にお雛様(女雛)、右側にお内裏様(男雛)を座らせて並べます。
三人官女(さんにんかんじょ)の段は、座り官女の小道具が三方(さんぽう)から嶋台(しまだい)になります。
三人仕丁(さんにんしちょう)の段は、左から泣き顔、怒り顔、笑い顔の順に並べます。烏帽子(烏帽子・平たい烏帽子になる)は被らずに、首からうしろに下げるようにしてかけます。小道具も変わり、熊手は泣き顔の前、ちり取りは怒り顔の前か横、ほうきは笑い顔の前に置きます。

関西の雛人形には家がある?

雛人形の飾り方として、階段状になった雛段にお内裏様とお雛様、三人官女、五人囃子のように順序よく飾っていきますよね。
ですが、この飾り方は関東の飾り方で、京都をはじめとする関西の地域では戦前までは、お内裏様とお雛様を飾るための家がありました。
御殿飾り(ごてんかざり)と呼ばれ、京都御所の紫宸殿(ししんでん・即位の礼などが行われた場所)を模したものや檜皮葺き(ひわだぶき・神社の屋根建築に使われている工法)、源氏枠御殿(げんじわくごてん・天井のない御殿)などの小さいお屋敷のような作りの家の中に、お内裏様とお雛様を飾っていました。
リカちゃん人形やシルバニアファミリーのような日本版ドールハウスがイメージに近いでしょう。

地域ごとの伝統的な雛人形

地域によっては昔から代々受け継がれてきた伝統的な雛人形が全国各地にあります。
現在でも大切に保管されている、歴史ある雛人形についてご紹介します。

京都府の享保雛(きょうほびな)

江戸時代の中頃、1716年から1736年頃の享保年間に京都で生まれた雛人形です。
顔は面長で切れ長な目と少し開けた口、細くて白い手が特徴です。大きさは13センチから18センチのものがほとんどで、中には45センチから60センチ位あるものまで作られるようになりました。
享保雛は京都で作られ、徐々に全国各地へと広がっていきました。当時に特注で作られた豪華な享保雛は現在でも大事に保管されており、ひな祭りの時期に見ることができます。

山形県の寛永雛(かんえいびな)

江戸時代の初期に誕生した寛永雛は、男雛が約12センチ、女雛は約9センチと小さく、両手を開いた姿で源氏物語を連想させるような京風の顔立ちが特徴的です。
山形県では江戸時代に航路が開かれ、酒田から下関を通り、上方から江戸へと航路で物資を運搬していました。
帰りの船には生活物資だけではなく、雛人形も積まれ県内の文化に大きな影響を与えました。
船で届けられた寛永雛をはじめとするその他の雛人形は、山形県内の家々で大切に保管されてきました。
現在でもきれいな状態のままで受け継がれており、ひな祭りが近づくとその雛人形を自宅で飾り公開展示を行っています。

大分県の古今雛(こきんびな)

古今雛は江戸時代に雛問屋の一人が、人形師に古今雛を作らせて売ったことがはじまりと言われています。
大分の玄関口の中津には、町の高台に武士が住んでいたことから現在でもひな祭りの時期には武家屋敷と共に、古今雛をはじめとする雛人形が鑑賞できます。
その中でも、江戸時代に杵築藩を治めていた松平家のゆかりの古今雛がおすすめです。現在は大分県立歴史博物館に所蔵されています。
顔は細い目と「く」の字形の鼻、衣装は金色の糸などを使った刺繍がされた美しい装束です。
江戸時代末期になると雛人形の目には水晶やガラス玉がはめ込まれ、現代の雛人形へ近くなっていきました。

佐賀県の次郎左衛門雛(じろざえもんびな)

次郎左衛門雛は、江戸時代に雛屋次郎左衛門という人形師によって京都にて作られました。
細い目と「く」の字形の鼻、ふっくらとした丸い顔で、男雛が約30センチ、女雛が約22センチと大きいのが特徴です。
次郎左衛門雛は上流階級の人々へ向けて作られた雛人形でしたが、江戸時代中頃になると一般の市民でも手に入れられるようになりました。
その頃、佐賀藩主だった鍋島家がこの雛人形を所有したことがきっかけとなり、現在でも佐賀県の文化遺産として大切に保管されています。

地域ごとの風習を大切にしよう

今回は、関東と関西によって違う雛人形の飾り方と、日本の各地域で昔から受け継がれている伝統的な雛人形についてご紹介しました。
現在では、時代の流れや昔の風習を先代から受け継ぐ事が難しくなっており、雛人形自体も現代の住宅事情などに合わせてデザイン性重視に変化してきています。
この機会に雛人形の伝統やしきたりを再確認し、お子様と一緒にひな祭りを楽しんでみてはいかがでしょうか。