おじいちゃんとおばあちゃんが孫のために買う雛人形

2018年11月27日

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3月3日の初節句を迎えるご家庭では、そろそろ雛人形の準備をお考えのかたも多いのではないでしょうか?
雛人形といえば、江戸時代は嫁入り道具の一つとして、母方の実家が持たせることが一般的でした。
現在は家庭により、両家の親であったり、母方の親であったりと状況により変わりますが、孫の節句祝いとして、おじいちゃんおばあちゃんが「健やかに元気に育って欲しい・・・」そんな願いを込めて贈られています。

目次


  1. 雛人形の歴史

  2. 雛人形と祖父母の想い出

雛人形の歴史


そもそも雛人形は、「上巳の節句」の際に、草や藁で作った人形を触り身代わりとして川に流し厄払いとされていた行事と、位の高い貴族の女の子のお遊びで紙の人形を使った「ひいな遊び」が一緒になり、雛人形が誕生したと言われています。
その後、江戸時代になって幕府は、節句を3月3日に制定し、雛人形を飾り女の子の節句
の日と定めました。
これまで行われていた流し雛の意味は、人に変わって雛人形に疫を引き受ける役割があったため、3月3日の女の子の節句には、健やかな成長と幸せを願う日となりました。
その後、職人の人形作りの技術の向上により、紙だけで作られていた流し雛が人間のような精巧な作りになり、衣装も豪華になっていき、現在の飾る人形へ変わったのです。
またお内裏様とお雛様のように男女一緒になった雛人形が生まれた理由として、幸せな結婚生活を送れる様に願い、上流階級の娘の嫁入り道具として用意されたと言われています。

雛人形と祖父母の想い出


当時実家には父方の祖母が健在だったので、人形を出す時期、飾る場所、片付ける時期に厳しかった記憶があります。
例えばお雛様を飾る時期は、一般的に立春を過ぎたころ。節分をして疫払いをした、2月4日以降から遅くても3月3日の雛祭り1週間前までの大安に飾ると良いとされています。
私の実家の雛人形は母方の両親が揃えてくれた、三人官女がついた五人飾りを毎年飾ってくれていました。当時は雛人形の種類は今ほどなく、近所にある人形専門店で人気だったものを購入したそうです。私には10歳上の姉がいるので、姉の代からずっと同じ人形でした。人形を飾る場所は2階の居間の一室を使い、人形が太陽の光で焼けないようにカーテンで室内を薄暗くして飾っていました。それでも豪華に飾られた雛人形はとてもきれいで、飾られた人形を見ることがとても嬉しかった記憶として残っています。
3月3日を過ぎると婚期が遅れるからとか、人形が劣化しないようになど、昔から祖母の言いつけを守って母があっという間に片付けていました。
私と姉が結婚してからは、実家でお雛様は飾ることは無くなりましたが、雛祭りのエピソードも含めてどちらも色褪せない想い出です。

親になった今我が家でも人形をただ飾るだけでなく、人形を囲みおじいちゃんおばあちゃんの話をして、娘が生まれた時の話をします。
私が小さなころしてもらったように、ささやかながら五目御飯やお刺身を食卓に並べて、子どもの成長を祝う日にして、毎年子どもの成長記録として、写真を撮っています。そして実家の両親に送り感謝のお手紙を添えています。
現在はモノが溢れている時代で、月日が経つのも早く、日本の伝統行事のひとつひとつ、どんな意味だったのかも考えることなく過ごしてしまいがちです。
雛祭りの良いところは、子ども達の健康を願う親心やおじいちゃんおばあちゃんの愛情を子ども自ら再確認出来る幸せな日であるといえます。
自分の子どもが大人になった時、雛祭りの楽しい想い出が残るように、そして未来の子どもに伝えらえるように、雛人形を囲んで楽しい時間を過ごしてください。

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※本記事は掲載時点の情報であり、最新のものと異なる場合があります。予めご了承ください。


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