五月人形には歴史上の人物への憧れが詰まっている

2022年2月1日

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奈良時代に宮中で生み出された「五節句(ごせっく)」のうちのひとつが5月5日の端午(たんご)の節句です。端午の節句は本来、菖蒲を用いて行われるものだったので、別名菖蒲の節句とも言われていましたが、後に武士が台頭し、貴族に代わって実権を持つようになると菖蒲=尚武という考え方から、男子の健やかな成長を願って武具を飾る風習へと変化していきました。
戦国時代が終わり江戸時代になると、戦のない平和な日々が長く続いたことで、さまざまな庶民文化が花開いていきました。そのうちのひとつに節句人形があります。江戸の街中にたくさんの人形屋が立ち並び、節句人形を飾ることが一般庶民にまで流行したそうです。
当時は神話や伝説を元にした浄瑠璃や歌舞伎が盛んに演じられ、登場する歴史上の人物をモデルにした武者人形が作られるようになっていきます。
明治以降は金太郎や桃太郎、牛若丸と弁慶など、昔話の中に出てくる正義の味方も人気でしたが、現代では、数年前から戦国武将ブームの影響で鎧兜が特に人気です。時代は移り変わっても五月人形にはいつも英雄と称される歴史上の人物に対する尊敬と憧れが詰まっています。

目次


  1. 歴史上の人物への憧れ

  2. 時代背景の影響

  3. ドラマや漫画によってより身近な存在に

  4. まとめ

歴史上の人物への憧れ


庶民文化として浄瑠璃や歌舞伎が盛んだった江戸時代には既に、神話や伝説に出てくる英雄豪傑を主役としてワクワクするような演出のお芝居が演じられていました。主人公は歴史上の人物の中でも特に人並み外れた能力を持ち、伝説として語り継がれている、まるでスーパーマンといった人物です。
例えば、日本書紀に登場する神功皇后(じんぐうこうごう)は、神と交信できる能力を持つ巫女的な人物で、妊娠中でありながら従者の武内宿祢(たけしうちのすくね)と共に夫の代わりに軍を率いて朝鮮半島を制圧し、帰国後出産、我が子を天皇に即位させると摂政として約70年間政治に関わったとされる驚異的な女性ですが、江戸時代以降、武者人形のモデルとして人気があったようです。

『五月人形 神功皇后・武内宿祢・教来石・飾馬』(京都国立博物館所蔵)
「ColBase」収録
(https://jpsearch.go.jp/item/cobas-872)

童話に出てくる桃太郎は、昔からお伽話として庶民の間で語り継がれてきた鬼退治で有名な正義の味方ですが、歴史上の人物かどうかは定かではありません。一方、金太郎は歴史上の人物として江戸時代以前から説話などでその名を知られていた坂田金時(さかたのきんとき)のことで、熊と相撲をとっていたという幼少期の超人的な逸話をもとにした本や浄瑠璃が人気となり、その後歌舞伎や浮世絵にも登場するようになったことで武者人形も作られるようになりました。
今でも桃太郎や金太郎は五月人形の定番ですが、元気で力持ちなイメージが子どもの健やかな成長を願って飾る人形にぴったりです。


今ではあまり馴染みがありませんが、江戸時代〜明治・大正あたりまでは八幡太郎義家(はちまんたろうよしいえ)、佐々木高綱(たかつな)、鎮西八郎為朝(ちんぜいはちろうためとも)、朝比奈三郎義秀(あさひなさぶろうよしひで)といった歴史上の人物たちをモデルに武者人形が作られていたそうです。
いずれも歌舞伎で人気役者が演じた主人公たちで、超人的な働きをしたり、神がかった能力の持ち主でした。五月人形は本来、子どもの健やかな成長を願って飾る物ですが、江戸の庶民は英雄たちが大活躍する様子に尊敬と憧れを抱いて武者人形を飾っていたのではないでしょうか。また、我が子がいつか歴史上の人物のようになることを望んでいたのかもしれません。

時代背景の影響



節句という慣例が中国から日本に伝わったのは奈良時代で、医療が発達していなかった当時、宮中では邪気を祓い、健康長寿を祈念して5月の最初の午の日(端午)に菖蒲の節句が行われていました。しかしその後、日本全国で武士が力を持つようになると、武家の間では菖蒲と同じ発音の「尚武」を当てることが広まり、男子が誕生したことを神や周辺住民に知らせる意味で幟旗や武具を家の外に飾るようになっていきます。


また、梅雨に入る前のこの時期に鎧兜を出して虫干しや手入れを行ったことから鎧兜を飾るという習慣もできたようです。鎧兜は武士にとって身を守るお守りの意味があり、災厄を避け、健やかに成長することを願い飾るようになりました。しかし、この時代はまだ一般庶民には節句という習慣はなく、貴族や一部の高い身分の武士だけの行事で、広く一般的に端午の節句を行うようになったのは江戸時代以降のことです。
徳川家康が天下統一を果たし始まった江戸時代は、その後260年以上もの間、戦がない平和な世の中が続いたため、とても豊かな庶民文化が発展していきました。
江戸時代初頭に京都の宮中行事だったひな祭り(桃の節句)が幕府の大奥に伝わると、子どもの災厄避けの身代わりに人形を飾るという風習も広く一般へと浸透していきました。同じ頃、幕府によって正式に五節句が祝日として制定され、節句人形を扱う人形屋が江戸の街中に増えていったことで、江戸中期以降は五月人形や武者人形といった節句人形が大流行していきます。

1857年(安政4年)歌川広重『名所江戸百景 水道橋駿河台』(東京富士美術館所蔵)
(https://jpsearch.go.jp/item/tfam_art_db-9441)

当時、町人は戦に使う幟旗や鎧兜などの武具を飾ることは許されていなかったため、その代わりに鯉のぼりや武者人形が作られるようになったことで、さらに各地へと広まっていったのです。江戸時代後期に描かれた歌川広重の浮世絵を見ると、当時の鯉のぼりは黒一匹のみだったことが分かります。中央に見える吹き流しや幟旗は武家の飾りで、鯉のぼりの方を強調して描かれている点から町人の方が勢いがあったことが伺えます。
明治時代には大型のリアルな武者人形も登場したようですが、金太郎や桃太郎などの民話やお伽話をまとめた児童向けの本が出版されたり、小学校で牛若丸の唱歌が推奨されるようになると、武者人形も徐々に子どもらしい姿へと変化していきました。
昭和以降は住宅事情の変化にも影響され、以前は武者人形の脇役だった鎧兜が人気を集めるようになり、それに合わせて武者人形もコンパクトになっています。鎧兜を着けた子ども大将という歴史上の人物ではない武者人形も登場しています。

ドラマや漫画によってより身近な存在に



さまざまな種類がある五月人形の中で人気を集めている鎧兜ですが、ここ数年は特に戦国武将の兜が注目されています。江戸時代よりもさらに昔の歴史上の人物である戦国武将の魅力とはいったい何なのでしょう。
そもそも正式な時代区分に「戦国時代」という名称は無く、室町時代の応仁の乱(1467年)以降、全国各地の大名たちによって約100年の間、戦いが繰り広げられた期間をさします。
Niftyが2014年に行った戦国時代についてのアンケートで「戦国時代の魅力は何ですか?」という質問に47%の人が「魅力的な武将」と答えています。さまざまな文献で語り継がれる戦国武将たちは人間らしい一面を持ち、親近感を覚えますが、それをさらに身近にしたのがドラマや漫画だと言えます。
ビデオリサーチ社による調査では、過去にNHKで数多く放映された大河ドラマの視聴率ランキングの上位に武田信玄、徳川家康、豊臣秀吉が入っています。もちろん、演じる役者による部分はありますが、何よりそのストーリー性や人柄に魅力があるのではないかと思います。

『家康公肖像』(国立国会図書館所蔵)
「国立国会図書館デジタルコレクション」収録
(https://jpsearch.go.jp/item/dignl-2542434)

戦の中を生き抜くためには強い肉体はもちろん、強い精神力や知恵、先を見抜く力、また統率力や人望など、さまざまな素質が必要です。時には運によって左右されることもあったでしょう。真偽のほどは分かりませんが、武将それぞれに必ず奇想天外でドラマチックなエピソードが残されています。
また、過酷な状況下での従者との関係や敵対する武将との駆け引きなどは現代社会の人間関係にも通ずるものがあり、戦国武将のイメージが理想の上司像と重なったり、『こうなりたい』と目標にする人物像であったりする点が人気の理由なのでしょう。
五月人形は、子どもを災厄から守り、健やかな成長を願って飾る物ですが、歴史上の人物に対する尊敬と憧れの象徴でもあるのです。


まとめ


端午の節句に飾る五月人形は、大きく分けると鯉のぼりなど屋外に飾る「外飾り」と、鎧兜や子供大将、武者人形などの「内飾り」に分けられます。それぞれ違った魅力があり、種類も多いので『何を選んだらいいか分からない』という声もよく聞かれますが、ご自宅の環境に合わせて、歴史上の人物やお好みの武将にちなんだ五月人形を選ぶことは、永く一生飾れる物になるはずです。迷った時は節句人形アドバイザーがいるお店に相談してみることもお勧めします。

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