着せ替え人形と聞くと多くの人がリカちゃんやバービー人形を思い浮かべると思いますが、実は似たような人形は日本に昔からありました。
中でも江戸時代に人気歌舞伎役者をモデルに作られた「市松(いちまつ)人形」は特に人気が高く、日本全国で大流行したため以降、日本人形=市松人形とまで言われるようになったのです。
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市松人形の起源
平安時代の宮中では既に女の子が抱き人形や小さな人形で遊んでいたという記録がありますが、当時は高貴な人たちだけのものでした。
今のように誰もが人形を手にすることができるようになったのは江戸時代中頃以降のことです。宮中行事だった節句が一般庶民へも広まり、江戸中に節句人形を扱う人形屋が立ち並ぶようになりました。
平和な世の中で武士は衰退し、代わりに商人の勢力が増していた時代ですから当然、競い合うように新しい商品を開発するようになります。
浄瑠璃や歌舞伎の人気役者をモデルにした浮世絵や人形が作られるようになり、特に美形で評判だった「佐野川市松(さのがわいちまつ)」という歌舞伎役者に似せて作られた人形は「市松人形」と呼ばれ、日本全国で大人気になったのです。日本人形発祥の地と言われる京都でも「いちまさん」と呼ばれ親しまれています。
江戸時代に生まれた庶民文化
江戸時代は現代にも負けないくらい自由な発想でさまざまな文化が花開いた豊かな時代でした。
お伽話や伝説に基づいた浄瑠璃や歌舞伎は庶民に大人気の娯楽でしたので、昔から伝わる端午の節句の飾り物や雛人形などにも大きな影響を及ぼしました。
それまで武家以外は本物の武具を飾ることが許されてなかったため、商人たちは立身出世を描いた伝説や英雄の物語などからヒントを得て、誰でも飾ることができる鯉のぼりや五月人形を生み出したのです。
また、最初は男雛と女雛の2体だけだった雛人形に三人官女や五人囃子が登場し、段飾りへと発展していったのもこの時代です。こうして人形製作の技術が極められ、市松人形をはじめとする日本人形は伝統的な工芸品として確立されていったのです。
裁縫の練習、嫁入り道具としても使われた
発売当初、市松人形は衣装を着けていない状態で売られていて、衣装は自分で別に購入したり花嫁修行として裁縫の練習を兼ねて縫ったりするのが主流だったようで、嫁入り道具のひとつとも考えられていました。
もともと人形は災厄を避けるための身代わりとして飾るお守りの意味がありましたが、子宝に恵まれますようにと願って親が嫁ぐ娘に持たせたとも言われています。
医療が発達していなかった時代には、お守りの意味を持つ人形の存在は現代よりもずっと重要だったようです。
高品質な市松人形を選びたい
市松人形の魅力は可愛らしい表情と高度な技術によって作り上げられた見応えのある衣装、全体の華やかさではないでしょうか。雛人形のお出迎え人形としても人気が高まっています。
数々の受賞歴を誇る、市松人形製作の第一人者「齊藤公司」作の市松人形です。髪型は現代調のおだんごヘアで全体的に可愛らしい雰囲気ですが、衣装に高級感が感じられてどこか大人っぽい印象です。
ツインテールや三つ編みの現代調の髪型でピンクを基調とした古典柄が艶やかな可愛らしい衣装の市松人形です。お祝いの品としても喜ばれます。